他人の目を気にして生きることって、息苦しいよね。

こんにちは、SHOでございます。桜が咲き、そして散り、新緑の若葉が野山を色付けて、漸く春の陽気も落ち着きを見せ始めているようです。

しかしまあ、暖かさと寒さの差が激しい季節なので、心や身体を壊してしまったという人も多いのかもしれません。

かく言うぼくは、ポケーっと毎日をただ楽しく生きておりますが。

父が旅行に旅立つことになり、母が荷造りを行なっておりました。二泊三日という、如何にも旅行らしいスケジュールに合わせて、アレヤコレヤと思案しながら作業しておりました。

下着や着ていく服を選んでいる時に、こんな古いのではダメ、新しい服を買わなくては‼︎ と母は意気込み始めました。

なぜだい⁇ と聞いてみたところ、「一緒に行く仲間たちの目があるから、古いのでは恥ずかしい」と言うのです。

他人の目を意識して、変だと思われないように、ダサいと思われないようにと取った策なのでしょうけども、僕にはその理屈がまーったく理解できませんでした。

他人の目の中で生きる心地悪さ

とは言いつつ僕も昔は他人の目を気にして生きる人間でありました。オシャレをしなきゃ、カッコよく思われなきゃ、頭良くならなきゃ‼︎ と意気込んでいたのは高校、大学時代。

しかし漠然とした疑問は常々持っていました。「なぜオシャレじゃなきゃいけないのか、なぜカッコよくなければならないのか、なぜ頭早くなきゃいけないのか。」と。

全てはただ、誰かに良く思われたかっただけでした。そうでないと、仲間ではないと思い込んでいたのです。仲間になるには認めてもらわなきゃならないと、意識してしまっていたのです。

しかし、段々とその意識を持った生活が息苦しく感じられるようになりました。「他人の目を気にして生きた時、自分の大事なものをどこかに捨てていっている気がする」と、いつからか思うようになったのです。

人は人、僕は僕

どんな格好をしようが、どんな考えを持っていようが、頭が悪かろうが、そんなことべつにどうでも良かったんです。だって全て他人の目から見た自分でしかなかったわけですから。

自分は自分で考えて、このように生きている、これだけで本当は良かったんです。

もちろん誰かの意見は参考になるかもしれません。でも参考なんです。一度聞いて自分の中で噛み砕いて、理解した上で自分に必要か不必要か判断すれば良いんです。

全てを他人の目で判断せず、最終決定は自分の目で見て決めていきましょう。

少なくとも僕は、人は人、僕は僕も思い始めた途端、息苦しさが春のそよ風に吹き飛ばされていってしまったような、軽く柔らかい心待ちになれました。

最後に。

君は君。